公開日 2018年09月03日
藍住町と藍
町名に「藍」の一文字があることから分かるとおり、江戸時代から明治時代にかけて、藍住町は藍の大生産地であり、一面に藍畑が広がっていました。
吉野川の下流域にあたる藍住町では、毎年のように起こる吉野川の洪水によって甚大な被害を受けていた地域でした。しかしその反面、豊富な伏流水に恵まれ、氾濫で肥沃な土壌がもたらされる地域であり、藍の栽培に適した土地柄だったのです。
室町時代に阿波の中心地であった勝瑞に藍の染料づくりが伝わったとされ、江戸時代から明治時代にかけては、特に奥野地区や徳命地区、東中富地区で産出する藍は一級品で、徳島藩の経済を支えました。
現在の徳島県では、5軒の藍師が藍の製造・販売をしていますが、藍住町内では藍畑すら見ることはできません。
かつての景観を一部でも取り戻すべく、藍住町での阿波藍製造復活を目指します。
地域おこし協力隊
藍住町で阿波藍製造復活を目指して募集した地域おこし協力隊。
平成30年8月20日から隊員としてお二人の方が活動しています。
今回ははるばる藍住町へ来てくれた隊員のお二人をご紹介します。
平成30年8月20日から隊員としてお二人の方が活動しています。
今回ははるばる藍住町へ来てくれた隊員のお二人をご紹介します。
(右)浅野皓資さん 27歳 京都市から移住
地元で藍染めの古布を見る機会があり、藍に魅せられ、藍に携わる仕事がしたいと協力隊に応募しました。農業や染めに関しては素人ですが、やる気と体力には自信があります。藍住町での阿波藍(蒅)の製造の復活に向けて頑張ります。
(左)阪本佳史さん 27歳 兵庫県宝塚市から移住
伝統的な日本の色と言われている藍色の伝統的な製造法を勉強することができ、嬉しく思っています。私達の活動が藍の素晴らしさの再認識、日本の伝統文化を見直すきっかけとなるべく精進します。
お二人には、藍住町で途絶えてしまった阿波藍の製造復活に向けて頑張っていただきます。応援よろしくお願いします。